お菓子のまさおかについて

お菓子のまさおかのルーツは、愛媛県です。

初代の正岡林造(りんぞう)は、愛媛県今治市の出身。県内にあった実姉が営んでいた菓子屋で修行を積み、四国から関東、関西でさらなる修行を積み重ねました。
のちに姉夫婦が菓子の製造・卸をはじめた北海道・余市町へ手伝いに招かれ、初めて北海道に入り、結婚したのです。

大正6年(1917年)
家族を持った林造は独立する場を求めて十勝・芽室町(当時の芽室村)に立ち寄ります。この頃の芽室は大豆や小豆、ビート、馬鈴薯などの大農業地で、林造の母の叔父から「ここは必ず発展する。芽室でお店を出しなさい」との助言もあり餅屋として独立・開業しました。
当初の取り扱い商品は賃餅・お供え餅・伸し餅・豆餅・大福などで、店舗のほか劇場や学校の運動会へ赴き、立ち売り箱で餅や仕入れ菓子(飴や煎餅など)も売っていました。

昭和13年(1938年)の頃。中央が二代目の正岡明、その左が創業者の林造。この頃は紅白まんじゅうも販売していました。

昭和28年(1953年)、クリスマスの大売出し。写真に写っている人物は二代目正岡明の弟。
※こちらの写真パネルは芽室町 ふるさと歴史館「ねんりん」に掲示されています。

昭和26年に、二代目が就任。
当時は食料品なども販売していました。

昭和26年(1951年)
初代林造が66歳の生涯を閉じ、二代目として明(あきら)が代表に就任。
量り売りの菓子(煎餅など)のほか果物や缶詰なども取り扱っていました。

昭和31年(1956年)5月1日
「合資会社正岡商店」を設立。

昭和39年(1964年)3月22日
芽室大火が店舗・工場を襲い、建物が全焼するものの、同年に再建。

昭和40年(1965年)代
芽室町営スキー場(現メムロスキー場)のロッジ内に冬季間限定の売店を開店。
このお店は現在も継続しており、特製の餡を使ったおやきなどを販売しています。

平成4年「合資会社まさおか」に改称、三代目が就任。

平成元年(1989年)5月12日
第21回全国菓子大博覧会(島根県松江市)において、『ゲートボールクッキー』が厚生大臣賞を受賞。

平成4年(1992年)6月26日
「合資会社まさおか」に改称、三代目の宣征(のりゆき)が代表社員に就任。

平成6年(1994年)4月25日
第22回全国菓子大博覧会(石川県金沢市)において、『風雪 柏の詩』が大臣栄誉賞(厚生・通産・労働各大臣、経済企画庁長官)を受賞。

平成10年(1998年)2月
北海道札幌市の百貨店で『中華まんじゅう』の実演販売を行なう。これが「まさおかの中華まんじゅう」として皆さまに知っていただくきっかけとなりました。

平成29年(2017年)6月25日
創業100周年事業「唄と落語のつどい」を主催。約300名のお客さまを招待し、歌謡ショーや落語、餅まきなどを楽しんでいただきました。

平成30年(2018年)6月3日
四代目崇(たかし)が代表社員に就任。

昭和29年(1954年)の頃。後列右から2番目が二代目明、前列左が三代目宣征。

シンボルマークに込められた想い。

正岡家の家紋である「折敷」の要素を取り入れ、さらに「揺れ三文字」のパターンを、芽室町郊外で4〜6月ころに咲くミヤマエンレイソウをモチーフにシンボル化しました。
家紋をデフォルメしたスカイブルーの枠は、清涼な晴天の空と、清冽な美生川の流れを表現しています。
ミヤマエンレイソウは早春の北海道にいちはやく花の姿を見せてくれる多年草です。 十勝の厳しい季節をくぐり抜けても毎年の新緑のころには、純白の深い三弁の花を咲 かせてくれる姿が印象的な花です。
新しい地にしっかりと根をはり、真摯に商売を続けてきた先代への想いも込め、このマークを大切にしています。

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